■エッセイ
宇宙にはブラックホールが存在し、そこでは、あまりにも重力が強いため、光でさえ一度吸い込まれたら二度と出られないという。
弊社にもブラックホールのような部屋がある。
元々は社長室だったのだが、あまりにも使い勝手が悪かったためにすぐに使われなくなり、40年近く物置になっている部屋だ。
一定期間保存が必要な会計書類や小切手帳の耳、通帳、手帳、経営指針から古いパソコンまで、スグに処分して捨ててしまうのがはばかられる物たちが「とりあえず」そこへ運び込まれているのだが、その「とりあえず」が永遠となり処分されることなく溜まり続けていた。
最近時間が出来たので、遂に意を決して整理をはじめた。
一応目を通してから捨てることにしたのだが、いや~。懐かしい思い出が出るわ出るわ。「このお客様はこんな昔からお取引いただいていた…」「大して儲かってないのにバブルに浮かれてたな」「設備のこの借金は大変だったけど、変わるきっかけだった」「ああしておけばよかったのに」「あんな社員がいたな」「リーマンショック・大震災は大変だったけど半年くらいだったなあ」などなど、思い出がよみがえり、さっぱり整理が進まない。
以前観たSF映画でブラックホールに吸い込まれながら時間が逆行して、過去がフラッシュバックするシーンがあったが、まるでそんな感じになってしまうのだった。
現在のコロナ禍もいつかは収束して思い出になるときが来るのだろうが、その時に後悔しないように今を大切にする戒めとすることにした。
* * * * *
海外の刑事ドラマの一シーン。
ある地域に逃げ込んだ逃走犯を追うチームのボスが叫ぶ。
「おい、地図を出せ」
部下達はポケットから一斉にスマホを。
「そんなんじゃねえ。紙の地図だよ。印刷したやつ」
部下が慌てて調達した地図を車のボンネットに広げると、広域の道路のつながり、工場や商店など地域の利用状況、住人の属性など様々な要素を書き込み対象地域を絞り込んだ。
そうだ、データベースの検索で情報を絞り込んでも最終的にチームで情報を共有しつつ推理を深めるのは、やっぱり紙の地図だ……。
今年一月に「紙の魅力を科学する」というテーマで研究をしている先生の講演を聞く機会があり、紙メディアは電子メディアよりも「深い読み」や「発見力」をもたらすという研究結果を聞いたことを思い出して思わず笑ってしまった。
確かに全体を俯瞰して分析し、思考を深め、仮説を立てるには紙に勝るものはないと思う。
最近はとにかくペーパーレスの流れで、何かと「紙の印刷物」は、分が悪い。
けれども、小説や漫画はやっぱり頁をめくらないと読んだ気がしないし、取扱説明書も紙でないと理解に時間がかかり結局プリントしたりする。古本屋で見つけた本に書き込みなど前の持ち主の痕跡があると何だかうれしい。団体の会報もあまり読まれないからと紙を廃止してデジタルのみで配信したら、もっと読まれなくなった。瞬時に検索でき動画のあるタブレットも良いけれど、子どもたちの想像力と創造力を育むのは紙の教材では? こんな風に思うのは時代に逆行しているのか。
紙は人類とは千年以上のお付き合い。我々は目で読んでいるだけでなく手で触れたり書き込んだり、無意識に五感をフルに使って情報を得るものだという。
時代に逆行するつもりは全くない。ネットの便利さ抜きには一日たりとも暮らせないし、人一倍新しいもの好きではあるけれど、ちょっと立ち止まって紙の魅力を再認識するのも良いかもしれない。
これからはデジタルの便利さを積極的に活用し紙メディアとの連携で、新しい可能性を考えていかなければと思う。一方そのためには人間の感性にフィットする紙の印刷物の役割を知らしめることは私たちにしか出来ない大切な仕事だと感じている。
ところで冒頭のシーン、これからのボスは
「AIを使え!」
と怒鳴るのだろうか?
ボス、つまんねーヤツだなあ。
* * * * *
今からもう5~6年前になるだろうか。九月初めドライブの帰り道でのこと。道端の土手がピンク色の花で彩られていた。
近づいて見ると、30センチくらいの細長い花茎の先にピンク色の小さな花が房状に咲いている。それが密生して約3~40メートルずっと土手を埋め尽くしていた。
誰かが栽培しているものなのか、自然に生えたものなのかわからないが、初めて見る光景だった。その光景は強く印象に残り、帰ってから図鑑などで調べたがよくわからなかった。
ある動植物が何という種なのか決定することを「同定」という。植物の場合、花や葉を見て科名や属名についておおよその見当をつけて、図鑑の写真や絵と突き合わせ、説明を読んで決定する。しかし、見た目はそっくりなのに全く違う種がいたり、同じ種の中でも変異・個体差があり全く同じ姿のものはいないので一筋縄ではいかない。そして知識がなくて全く見当もつかない場合などは、同定はとても難しい作業になる。
詳しい植物図鑑になると、巻頭に同定の方法が載っているのでこれを利用して葉の形、つき方や花の構造、特徴を一つ一つ確認して正解にたどり着くまでイエス・ノーを繰り返すのだが、専門用語が多く知識と根気が必要である。
その時はピンクの花が何という種なのか、結局わからなかったけれどスマホで撮った写真を「道端で見つけたきれいな花」としてフェイスブックにアップした。すると、たくさんの「いいね!」とともに、ある友人がこれは「ツルボ」ではないかとメッセージをくれた。
名前さえわかれば、後は早い。ネットで検索するとたくさんの写真とともに「キジカクシ科ツルボ属」で日本の在来種は一種だが世界では百種近くあり球根性の観賞用植物として栽培されていること、名前の由来や、栽培の仕方などなど実に多くの情報があふれていた。
その年は、名前がわかったところまでだったのだが、翌年の九月上旬偶然「ツルボ」に再会することになった。僕のお気に入りのランニングコースの鬼怒川の堤防で数百メートルにわたる見事なツルボの群生を見つけた。誰かが栽培しているわけでもなく自然に自生しているのだと思うが、とても見ごたえのあるものだった。近づいて見ると、花を目当てに蝶や蜂、小さな甲虫が集まり賑わっていて、さながら小さな生命たちのお祭り状態だった。早速、花にとまっていた昆虫とともに写真を撮って、再びフェイスブックにアップした。
するとどうだろう、先日とはまた別の、今度は昆虫に詳しい友人からメッセージが来た。「その虫はマメハンミョウとハナムグリで、マメハンミョウの吸蜜は初めて見た。珍しい」
ハナムグリはポピュラーなので、僕にもわかる。名のとおり花粉まみれで花に潜っている、かわいい虫だ。
もう一方、大きな赤い目に黒地に白い縦ストライプの派手な昆虫は「マメハンミョウ」というのか。早速ネットで検索してみた。名前は同じだがハンミョウ科とは別のツチハンミョウ科で、成虫は主に大豆の葉などを食べる害虫で、触れただけで皮膚がただれる猛毒とある。同名で姿の似ているハンミョウ科は毒が無いそうだから、同定を誤ると命に係わる、触らなくて良かった。
ハンミョウの毒といえば時代劇で忍者が毒殺に用いる、あの毒である。道理で凶悪そうな派手な姿なわけだ。人間と同じで「オレと関わると痛い目にあうぜ」と、ファッションで主張している。
植物や昆虫は、世の中に溢れているので興味がないとただの雑草、虫けらに過ぎないけれど名前がわかると、俄然存在感が増して愛しく思えるようになるものだ。実際、僕にとってランニングしながら何年も通過して見ていたはずの鬼怒川堤防のツルボも、名前がわかる前は全く目に入らなかったのだから。
さらにその花の蜜に集う虫たちとなるとなおさらのことだ。しかし、そこには生き物たちの深くて広い世界が広がっていたのだった。
近年、SDGsで生物多様性の保全が叫ばれているが、特別な生き物のことではなく日常の、足元に目を向けて、その名前を知ることが第一だと思い知らされた。
近頃はスマホがどんどん進化していて、未知の動植物でもカメラで映像にすればAIが同定を助けてくれるのでとても便利になった。これからは散歩の際はスマホを活用して、自然観察を楽しみたいと思う。
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